赤坂小学校出身の芸能人・有名人を何人知っていますか?

港区立赤坂小学校(みなとくりつ あかさかしょうがっこう)は、東京都港区赤坂八丁目にある。

歴史は古く、多くの変遷を経て、1993年(平成5年)4月1日 に 旧檜町小学校の現在地に新しく港区立赤坂小学校が開校された。

港区立赤坂小学校の沿革は下記の通りです。

1873年(明治6年)- 赤坂一ツ木町に旧赤坂小学校の前身である第三中学区第三番小学校茜陵学校(せんりょうがっこう)が設立された。
1889年(明治22年) – 中之町分校(旧檜町小学校)が設けられた。
1908年(明治41年) – 旧氷川小学校が設けられた。
1929年(昭和4年) – 氷川小は勝海舟邸宅跡に移転。
1941年(昭和16年) – 国民学校令にともない各校とも改称。
1942年(昭和17年) – 檜町国民学校(檜町小)は、乃木希典の旧邸宅及び乃木神社がある場所柄もあり、乃木国民学校と改称した。
1947年(昭和22年) – 学校教育法の施行にともない、それぞれ港区立の小学校となる。
1992年(平成4年)4月4日 – 赤坂小学校と檜町小学校を統合し、檜町小学校となる。
1992年(平成4年)3月31日 – 氷川小学校と檜町小学校が廃止される。
1993年(平成5年)4月1日 – 旧檜町小学校の現在地に新しく港区立赤坂小学校が開校。
1994年(平成6年)4月1日 – 港区研究奨励校となる。
1999年(平成11年)1月18日 – サイエンスグランプリ学校賞受賞。
2010年(平成22年)4月1日 – 東京都人権尊重教育推進指定校。
2011年(平成23年)3月31日 – 東京都健康研究推進校優秀校授賞。

ウィキペディア

ウィキペディアには、赤坂小学校出身の関係者として、多くの方の名前がありました。

失礼ながら、お名前さえ存じあげない方も多いのですが、私でも名前を知ってる芸能人・有名人として、石原軍団の神田正輝さん、衆議院議員の城内 実さん、協栄ボクシングジム会長の金平桂一郎さんの名前がありました。

赤坂小学校出身の芸能人

石原軍団の神田正輝さん

1950年(昭和25年)12月21日 ‐。

俳優、タレント。

戦後に活躍した女優・旭輝子さんの長男。

松田聖子さんの元夫。

神田沙也加さんは、神田正輝さんと松田聖子さんの間に誕生した長女。

神田正輝さんは、旧・赤坂小学校を卒業されました。

ウィキペディアの神田正輝さんの略歴に、神田正輝さんの小学校についての記述はありませんが、

港区立赤坂小学校の関係者の旧・赤坂小学校ところに、神田正輝さんの名前があります。

それで、神田正輝さんを赤坂小学校の卒業生として、記載させていただいています。

神田正輝さんの生い立ちについては、下記の記事が面白いです。

神田正輝の生い立ちは?

森章二

1938年(昭和13年)1月31日 ‐。

東京府出身の俳優。

本名は石渡 建治。

大岡越前、必殺シリーズ、水戸黄門、大江戸捜査網、暴れん坊将軍シリーズなど、時代劇への出演多数。

もしかしたら、悪代官役が似合う舞台俳優さんなのかもしれません。

森章二さんは、赤坂小学校の前身である旧・氷川小学校を卒業されました。

ウィキペディアの森章二さんの人物・来歴に、

東京都港区の旧氷川小学校を卒業。劇団新国劇に入団。

と書かれています。

また、港区立赤坂小学校の関係者の旧・氷川小学校のところに、森章二さんの名前があります。

光川京子

1918年(大正7年)1月30日 – 没年不詳。

女優。

出生名山口 まさ代(やまぐち まさよ)、結婚後本名吉田 まさ代(よしだ まさよ)。

戦前の銀幕スターさんのようですが、戦後生まれの私には、お名前を聞いてもわかりません。

戦前の銀幕のスターの没年は不詳なのは、チョッと寂しい気がします。

光川京子さんは、赤坂小学校の前身である旧・氷川小学校を卒業されました。

ウィキペディアの光川京子さんの人物・来歴に、

1931年(昭和6年)3月、旧制・氷川尋常小学校(現在の港区立赤坂小学校)を卒業するとともに、同年、松竹蒲田撮影所に入社する。

と書かれています。

また、港区立赤坂小学校の関係者の旧・氷川小学校のところに、光川京子さんの名前があります。

赤坂小学校出身の政治家・官僚

城内 実

1965年〈昭和40年〉4月19日 – 。

元外務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、星槎大学客員教授。

2005年の郵政国会で、当時の安倍幹事長の再三の説得にもかかららず、郵政民営化法案に反対票を投じた。

城内 実さんは、当時の小泉首相の出身派閥の森派に所属していたにもかからわず、郵政民営化法案に反対票を投じた。

森派に所属する国会議員の中で、郵政民営化法案に反対票を投じたのは、城内 実さんただ一人だった。

直後の衆議院選挙では自民党の公認を得られず、刺客として送り込まれた片山さつきさんに敗れ落選した。

これらのことを記憶されている方は多いと思う。

城内 実さんは、一時期、赤坂小学校の前身である旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)に在籍されていました。

ウィキペディアの城内 実さんの学歴に、

1977年港区立檜町小学校編入。

との記載があります。

また、港区立赤坂小学校の関係者の旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)ところにも、城内 実さんの名前があり、一時在籍との記載があります。

杉山和男

1927年(昭和2年)4月30日 – 2018年11月3日。

官僚。通商産業事務次官。

通産官僚って、マスコミの前には、姿を現すことがないので、なじみはありません。

杉山和男さんが、通商産業事務次官に就任したのは、昭和57年。

当時、いわゆる非関税障壁に対する貿易摩擦やジャパンバッシングが激化していた。

通産官僚のトップだった杉山和男さんが、対米交渉の矢面にたたないわけにはいかない。

杉山和男さんが通産省に入省したのは、昭和27年。

杉山和男さんは、日本の高度経済成長期を支えた通産官僚のエリートだったんですね。

もしかしたら、杉山和男さんをモデルにしたドラマや小説もあるのでは。

杉山和男さんがモデルになっていなかったとしても、高度経済成長期の通産官僚をモデルにした小説やドラマは多数存在する。

その中に杉山和男さんも登場してるのでは。

杉山和男さんは、赤坂小学校の前身である旧・氷川小学校を卒業されました。

ウィキペディアの杉山 和男さんの略歴に、

東京市出身。赤坂区氷川小学校(現・港区立赤坂小学校)から、1940年 東京都立一中入学。

と書かれています。

また、港区立赤坂小学校の関係者の旧・氷川小学校のところにも、杉山和男さんの名前があります。

赤坂小学校出身の実業家

宮岡公夫

1922年(大正11年)12月8日 – 1998年1月25日。

日本郵船元社長・会長・相談役。

東京大学法学部に入学したが、学徒動員で海軍に配属される。

上官から、特攻に対する意向を確認された時、「私は母親を一人残して特攻への道へ進む事は到底出来ません」とハッキリと意見を述べたという。

大学卒業後入社してすぐ積極的に組合活動をした為会社側に睨まれ大学卒では初めてという荷役係へ飛ばされたという逸話もある。

日本郵船の元社長っていうから、どんな人か興味が湧きましたが、信念の人だったようです。

宮岡公夫さんは、赤坂小学校の前身である旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)を卒業されました。

ウィキペディアの宮岡公夫さんの人物に、

5歳の時宮岡の父は和歌山で脳溢血で急死し、母、妹と共に祖父母の住む赤坂で育った。

と書かれています。

また、港区立赤坂小学校の関係者の欄の旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)のところに、宮岡公夫さんの名前があります。

協栄ボクシングジム会長の金平桂一郎さん

1965年(昭和40年)11月3日 -。

協栄ボクシングジム会長。

協栄ボクシングジム創始者金平正紀の長男。

東京都渋谷区出身。

金平桂一郎さんは、赤坂小学校の前身である旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)を卒業されました。

ウィキペディアの金平桂一郎さんの来歴人物に、金平桂一郎さんの小学校についての記述はない。

しかし、港区立赤坂小学校の関係者の旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)ところに、金平桂一郎さんの名前があります。

それで、金平桂一郎さんを赤坂小学校の卒業生として、記載させていただいています。

赤坂小学校出身の文学者

赤坂小学校には、文学者になった卒業生が3人もいらっしゃいます。

しかも、明治21年生まれの文学者・辰野隆さんと里見弴さんはともに赤坂小学校の前身である旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)の同級生だ。

二人の文学者が同じ小学校の同窓生というのも、珍しいですよね。

でも、この3人の名前を聞いて、あの人と思える人は、もうあまりいませんよね。

辻邦生

1925年(大正14年)9月24日 – 1999年(平成11年)7月29日。

小説家、フランス文学者。

辻邦生さんは、旧・赤坂小学校を卒業されました。

ウィキペディアの辻邦生さんの来歴・人物に、

1932年(昭和7年)に東京へ戻り、赤坂区に住む。赤坂小学校から旧制日大三中を経て、、、、

とあります。

また、港区立赤坂小学校の関係者の欄の旧・赤坂小学校のところに、辻邦生さんの名前があります。

辰野隆

1888年(明治21年)3月1日 – 1964年2月28日。

フランス文学者、随筆家。

辰野隆さんは、赤坂小学校の前身である旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)を卒業されました。

ウィキペディアの辰野隆さんの来歴・人物に、

建築家の父・辰野金吾と母・英子の長男として東京市に生まれる。赤坂中之町小学校卒業後、、、、

とあります。

また、港区立赤坂小学校の関係者の欄の旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)のところに、辰野隆さんの名前があります。

里見弴(さとみ とん)

1888年(明治21年)7月14日 – 1983年(昭和58年)1月21日。

小説家。

志賀直哉や武者小路実篤らが創刊した雑誌『白樺』に2人の兄と共に同人として参加していた。

里見弴さんは、赤坂小学校の前身である旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)を卒業されました。

ウィキペディアの里見弴さんの略歴に、里見弴さんの小学校時代についての記述はありません。

しかし、港区立赤坂小学校の関係者の旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)ところに、のち番町小、学習院初等科へ転校と書かれています。

里見弴さんは、赤坂小学校の卒業生ではありませんが、旧・檜町小学校(旧名・中之町小学校)に在籍されていたようなので、赤坂小学校として記載させていただいています。

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